今、7歳の息子。
牛乳(乳製品)のアレルギーはクラス6です。
7歳を迎えた今でも、牛乳は飲めません。
息子の乳アレルギーが発覚したのは、生後7ヶ月の時でした。
乳児湿疹が治らない
息子は、生後3か月頃から乳児湿疹が出始めました。
乳児湿疹ができはじめてすぐに、いくつかの皮膚科や小児科に診てもらいにいきました。
もともと地元ではないこともあり、どこの皮膚科がいいのか、どこの小児科が評判が良いのかは全くわかりません。
皮膚科にも行きましたが、そこで言われた言葉は毎回お叱りのような言葉ばかり。
「母乳だから、お母さんがミネラルや栄養などをしっかり取ってくれないと湿疹は治りませんよ。」
「ちゃんと保湿してますか?石鹸は何を使ってますか?洗剤は?」
「肌を清潔にしてますか?」
生まれる前から、子供にアトピーが出てくる可能性は高いだろうと思っていたので、保湿にも石鹸にも、洗剤にも、自分自身の栄養についても相当気にしているつもりでいました。
ですが、言われるのはいつも同じ言葉。
正直、かなり気持ち的にも参ってしまいました。
毎回処方されるロコイド軟膏とプロペト。
保湿もして、洗剤や石鹸に気を使って、自分の栄養にも気を使っても、いっこうに湿疹はよくなりません。
すれ違った全く知らないおばさんに、「この子アトピーよね。病院行ってるの?」と話しかけられたこともありました。
離乳食で違和感
そんな日々が続き、離乳食を初めてしばらくした頃のことです。
お粥にも慣れてきたので、新しい食材にチャレンジしようと、市販のパン粥を買ってみました。
初めてのパン粥なので、ひとさじだけを息子に食べさせようとしました。
普段はすごく食べる息子が全く食べようとしません。
食感や味が気に入らなかったのかなと思い、次の日にもチャレンジしましたが、舌で押し返して食べる様子はありませんでした。
結局、パンは好みじゃないんだなと思いそのままパン粥を出すことはありませんでした。
誤食で口の周りが真っ赤に!
そのままパン粥を食べないまま、生後7ヶ月を迎えたころのお話です。
ある日の朝、息子の顔をふと見ると、口の周りが真っ赤になっていました。
そして、息子の手には超熟の食パンが!!!
耳以外の真ん中の柔らかい部分がドーナツの穴のようになくなっていました。
ローテーブルにあった食パンをつかまり立ちをして食べていたのです。
子供から目を離し、手の届くところに食べ物を置いてしまった私の失敗です。
小麦なのか、乳製品なのかその時はわかりませんでしたが、何らかのアレルギー症状だ思い、息子を慌てて小児科へ連れていきました。
小児科の先生にパンを誤飲して、口の周りが赤くなったことを伝えました。
他に身体にじんましんが出たり、咳が出るなどの症状が何も出なかったため、その日は何も投薬などしないで様子を見て下さいとのこと。
また、今回のことで食物アレルギーの疑いがあるとのことで、血液検査をすることになりました。
赤ちゃんの血液検査は見ていられない・・・
初めて血液検査をする息子。
息子は、ベッドの上に寝かされ、全身グルグル巻きに。
母親は注射の瞬間は立ち会えません。
看護師さんの話だと、お母さんが注射の時に近くにいると
(自分が泣いて嫌がっても、お母さんが助けてくれない)
と赤ちゃんが思ってしまうからなんだそうです。
お母さんには赤ちゃんから見えないところに離れて下さいねと指示がでます。
ここからは赤ちゃんもお母さんも試練です。
赤ちゃんは、初めて見る看護師さん達に、体が動かないように太い包帯のようなものでグルグル巻きにされ(片方の手は出てる)、ぐっと抑えつけられ、何をされるのかわからない恐怖感。
看護師さん達は、その恐怖で暴れる赤ちゃんのむっちむっちの腕に、細い血管を見つけ出し、採血をしなければいけない大変さ。
お母さんは、何が起こっているのか見えないなか、ぎゃん泣きの子供の声だけを外で聞いて待つもどかしさ。
大人の採血と違い、子供の採血は時間がかかります。
その間、ずっと泣き続けている息子。
初めての血液検査の時の子供がめちゃくちゃ泣いている何もしてあげられない辛さは、7年たった今でも忘れられないです。
その後、2週間後に結果を聞きに来ることになりました。
後日、検査結果を見てみると、小麦は陰性で卵とミルクに陽性反応がありました。
ここから、子供と私の除去生活が始まったのです。
(追記)
超熟で初めてアレルギー症状を食べた息子。
今はその超熟で、アレルギー経口免疫療法続行中です↓
